2018/06/23 岩倉具視

おやすみなさ岩倉具視

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岩倉具視と言えば、500円札を思い出します。というか500円札のイメージしかないのですが、今や500円硬貨でさえ、2021年に3代目となるのですから、500円札も目にすることはないでしょうね。


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500円玉といえば、まだ出始めの目新しかった時に、見せびらかしたら盗まれたことがありました。小学生にとって500円玉は大金でした。うまい棒50本買えますからね。犯人が分かったのですが「返してもらえるまで帰ってくるな」と父親に叱られました。

 

さて…岩倉具視は、12歳の頃に公家の家柄、岩倉家に養子となり具視の名を選定されました。

その後、1858年、江戸幕府大老井伊直弼らが、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し他の国とも不平等条約を締結、また将軍継嗣を徳川家茂に決めて反対する者たちを弾圧した、いわゆる「安政の大獄」に岩倉具視も巻き込まれます。またも出てきました井伊直弼。変イェーイ!

紆余曲折を経て、江戸時代から明治時代へと変わった頃、江戸時代後期に諸外国と結ばれた不平等条約の改正(条約改正)のための予備交渉を目的として岩倉使節団を設立。岩倉具視はリーダーとして、明治4年1871年)11月に横浜港をたち、1年10か月にわたり欧米諸国を巡り、各国元首と面会して国書を手渡したが、条約改正の糸口はつかめませんでした。帰国後、巨大な天皇大権を内容とする欽定憲法を構想し憲法体制の基本方針を定めました。

途中、だいぶ飛ばしました。恐らくここで書いたとて、さほど有益でないと思い返したのです。ちょっとだらだらと書き過ぎです。500円札の話だけで良かったもしれません。疲れてますね。

 

往々にして疲れているときは休むもんです。無理しないのも大事ね。

 

なんとか書き終えたので、続きます。