2018/06/22 井伊直虎
おやすみなさ井伊直虎
Twitterの本文はこちらから
カズヤ on Twitter: "おやすみなさ井伊直虎 https://t.co/AqlHy9z1JS"
はっきり言うとNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の柴咲コウのイメージしかないです。なのでなかなか文章が出てこず、ひりだして胃もムカムカしています。いつものように軽い文すら出ない時も僕にだってあります。これを書いている電車の中は段々と混雑しています。片道二時間の道のりは長い上に混雑しているから余計に疲弊しています。それでも続けることに意味があります。アラート「これは訓練です。これは訓練です」
井伊直虎は、女性ながら井伊家当主になったとされる井伊直盛の娘、次郎法師と同一人物として考えられています。前日の石田三成でも出てきた「関ヶ原の戦い」で徳川家康側に付いた井伊直政の養母としての記録があります。
井伊家は江戸時代に彦根藩家として5代6度、大老を出しており、その中に井伊直弼もおります。このブログではふざけて扱ってしまいましたが。
井伊家は今川氏に支えていましたが、桶狭間の戦いで今川義元が死んだ後、息子の氏真にすり寄る井伊の家老小野道好に居城・井伊谷城を奪われます。井伊は徳川を頼り実権を回復しましたが、武田家の侵攻などを受けるなどして居城を失うも、その度に井伊谷城を奪還し井伊家を守り続けました。
その間、元許嫁の直親の遺児・虎松(直政)を養子として育て、直政が15歳の時に徳川氏に出仕させます。これが関ヶ原の戦いでの井伊直政の活躍に繋がりますね。
繋がると言えば、何の気なしに「おやすみなさいシリーズ」をツイートしていましたが色々とリンクしていて、今になって面白いと感じています。
往々にして、続けることで何か実ることもあるもんです。井伊家も直虎が女地頭として存続したからこそ、江戸時代の功績も残せたのでしょう。
少々弱音を吐いていますが、続きます。