2018/06/20 石田三成
おやすみなさ石田三成
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カズヤ on Twitter: "おやすみなさ石田三成 https://t.co/rVYvdTUSWZ"
このブログは、とあるきっかけで、寝る前の挨拶「おやすみなさい」に人名などを掛け合わせて、解説となるWikipediaのリンクを貼った「おやすみなさいシリーズ」を当時を思い出しつつ、Wikipedia他、ネットで調べた情報や体験を書いています。それなりに調べて読んだ上で書いておりますが、間違いもあるかと考えています。あと重要なことですがこれは日記ではありません。
石田三成は関ヶ原の戦いとtwitterアカウントくらいしか印象にないです。twitterもフォローしているわけではないから、詳しくはないですし、これからフォローするかと言うとしないでしょう。
大辞林 第三版の解説
いしだみつなり【石田三成】
(1560~1600) 安土桃山時代の武将。近江の人。名は佐吉。治部少輔と称する。豊臣秀吉に重用され、五奉行の一人として太閤検地などに活躍。秀吉の死後、遺子秀頼を擁して徳川家康と対立、関ヶ原の戦いに敗れ、京で斬首された。
この日(2018/06/20)、恐らく誰かが作ったコードを解析していたようです。
カズヤ on Twitter: "薬か毒か判らないけど、不味いものをバリバリ食べて現状を把握する作業は、やっぱり苦痛だなぁ"
ある程度規模が大きく、長く続くプロジェクトだと、ダメと分かっていてもトータルの工数を考えると簡単には直せない事が多く、この時も悩んでいたようです。
自分がこの手で悩むのは「姑息な仕様・処理」です。
設計なしにだらだらと書かれたコードに「姑息な仕様・処理」は多く、バグ対処でダメにダメを上塗りする危険があるから直したいのですね。他も同じ理由で「後継が見たときに問題が解決しやすい土台」を常に作り続けることがエンジニアとしてありたい姿です。
三成の話に戻りますか。秀吉の天下統一のために九州から奥羽と奔走し、統一後も文禄・慶長の役での支援で忙しく動くなか「このままではいけない」と感じていたのかと想像します。ですが「姑息な処理」で決着させようとしていました。そういったところが、かつての「傲慢、非情、戦下手、人望に欠ける」といった悪評に繋がったのかもしれません。
今は「義を貫いた忠臣」と再評価されているようです。
往々にして中間管理職は大変なもんです。何かあったのか?真摯にことをこなし待つしかないのでしょう。
…まとまってませんね。こんな時もありますが続きます。